第1回さいたま国際マラソン完走記(その4)の続きです。
* * * * *
気付けば空には青空が広がっていた。
おでこの飾りとなっていたサングラスを本来の位置に戻す。
30km地点を通過。
2:22’23 (25-30km 24’09 | 4’50/km)
ストライドが狭くなってきているのが自分でもわかった。
広げようと思ったところで、どうにもならなかった。
浦和大学付近でまたもや坂が立ちはだかる。
元気であればそれほど苦にならない坂に対して、全く太刀打ちできない自分にひとり苦笑い。
序盤からの細かなアップダウンで完全に脚が削られてしまっていた。
新見沼大橋の料金所を再び通過する。
付近に住宅はなく、沿道の応援も少ないところ。
事前のシミュレーションでは一番苦しくなる区間だろうと予想していた。
しかし、一定の間隔で配置されているコース整備のボランティアの方々が、控えめながらも心のこもった応援をしてくれていた。
もはや声援には応えられない状態だったけど、その声はしっかりと心に届き、走り続ける原動力となった。
今はとにかく耐える時。
4’40/kmのペースは夢の世界となってしまったが、とにかく1秒でもペースを落とさないように足を動かし続ける。
旧中山道に入ったら復活して爆走する!
とにかくその想いだけは捨てないように、何度も何度も心の中で繰り返した。
ヒラリーさんに追いついたのはこの辺りだっただろうか。
散々世話になっておきながらよく覚えていないという、なんと恩知らずな…(汗)
有料道路の区間が終わり、沿道の応援が増え始める。
きたさん応援団、たなかはん応援団に力強い声援をもらった。
他にも応援してくれた方がいた気がしますが認識できず。
気付いていなかったらごめんなさい!
* * * * *
35km地点通過。
2:47’44 (30-35km 25’21 | 5’04/km)
ようやく駒場スタジアムにたどり着き、旧中山道前、最後の上り坂に挑む。
動かない身体に鞭を打ち、何とか上り切った。
やっと苦しい区間が終わった喜び、思い通りに動かない足のもどかしさ、ここから爆走してやるという決意、、、
色んな感情が混ざりあって、雄叫びのような、ため息のような、わけのわからない声が吐き出された。
ちょうどそこにいたのはボランティアで参加の☆ponkoさん。
変なところを見られてしまった(笑)
アレキさんとK12R2さんもこの辺りにいたみたいだけどわからず…
北浦和駅前を右折し、ついに復活の旧中山道に入る。
目の前には真っ直ぐに平坦な道が続いている。
この景色を待っていた。
久し振りに平なところを走れる、そんな感覚すらあった。
すっかり落ちてしまった腰の位置を斜め上前方にセットし直す。
すると少し推進力が増したような手応えを感じた。
まだいける!
と、思ったのもつかの間。
右膝に力が入らず、崩れ落ちそうになった。
グッと右足に力を入れて、繰り返される着地の衝撃にどうにか耐える。
すると今度は左足の小指に激痛。
水ぶくれが出来て皮膚と皮が剥がれる瞬間。電気が走るような痛み。
イテテテテっ!
一瞬歩きそうになったが、何とか持ちこたえた。
自己ベストを出した東京では足裏が剥けたまま後半を走り切った。
これはペースダウンの原因にはならない。
左足をかばうことはせず、一番スピードが出るフォームを心がけた。
お次は右の腸脛が痛み出す。
次から次へと、
もうこの足はボロボロだ…
変なところ見ちゃいました(笑)。
でも、雄叫び?のお陰で応援できたからよかった♪
masaさんをはじめ皆さんの走りを近くで見ていて、埼玉県民なのに第一回の大会に参加しなかったことを少し後悔しました。
ボランティアもいい経験にはなったけど、次回は走る方で参加したいな。
応援ありがとうございました!
ボランティアの皆さんのおかげで最高の大会でした。
来年は一緒に走りましょう。
でもあれか、30分前にスタートすることになっちゃうか…^m^